欧州を船と電車で行く1ヶ月の記録〜イスタンブール編

AM11:00

  イスタンブール着いたああああああ!!!

本当は5Hのフライトだけど、時差があるためまだ11時!早かったような、やっとのような、、旅が始まった気がしないけど始まっている!ついに来てしまった!飛行機の中でフライト情報を見ながら自分が地球のどこを飛んでいるのか見ていた。世界って意外と小さいな〜でもブラジルは遠いな〜なんて思っていたが、イスタンブールの空港はやはり北京とは大違いだ。たくさんの人がいるのは変わりないが、風貌がまるで違う。ほとんどが男性。みんな浅黒く、背が高くがたいがいい。ウイグルで見た小さなお皿見たいな帽子を被っている男性も見かける。そうか、ここはイスラム教の国だ。

それにしてもろーりんはどこだ?トルコのお金もwifiもない私は少し不安になったが、空港のwifiにあくせくしているうちにろーりんを見つけた。

2ヶ月ぶり!よかった、無事に会えた。いつも久々の再会で決まってすることと言えば取り合えず彼の髪型と服装をいじること。今回は+@で真っ黒に焼けた顔もひとしきりいじり、Bakuでの感動を感情のままに話した後、久しぶりだね〜!!と再会を一瞬楽しむ。

私の花柄のカバンを、へなちょこな髪型に、真っ黒に日焼けし、蛍光色を身につけている彼に持たせ、駅に向かう。

 

一晩前からイスタンブールに入った彼は、すでに今日の宿にもチェックインを済ませていた。定期券のようなものも購入済みだ。一枚で2人使えるらしい。へなちょこだけど相変わらず頼もしい。

 

電車の中はほとんどが男性だった。ろーりんに、トルコって男性多いね、と第一印象を伝えた記憶がある。荷物もあるから怖いな、なんて思ってたところ、ろーりんに従い電車を降りる。“もう着いた?”“乗り換えだよ!”“え〜何回乗り換えるの〜?”なんて話していた私は、降りた瞬間眩しいくらいの青い空、負けじと色を放つ葉っぱや花に目を奪われた。なんて美しいんだ!なんて穏やかなんだろう!!思っていたトルコと全然違う!!と感情をすぐに言葉にしてしまうところ、改めて子供だ。ろーりんに外国だから声小さく、みたいな注意をされた気もするけど、あの美しさは今でも目に焼き付いている。どう形容すればいいのかな、“華やかな謙虚さ”とでも言うのだろうか。加工などせずとも美しく、けど傲慢な感じはない。歩いてるだけで和むような、どこか懐かしいような。なぜ“浪漫的土耳其”と言われているのかわかる。

 

電車から見る景色もなかなか楽しい。ブルーモスク、アヤソフィア大聖堂、人で賑わう旧市街、大学。いろんな服を着た人がいる。目以外は全て黒で覆った敬虔なイスラムの女性を見たのは初めてだ。電車で町探検していたら、潮の香りとともにカモメが見えた。え、もしかして海?海じゃん〜!!!!!!!きれい〜〜〜〜船もあるね、海青いね、天気もいいし!遠く見える橋がアジア側とヨーロッパ側を結んでるんだよ、とろーりんに教わる。じゃあ私達がいるのはヨーロッパ側?て聞いたら答えてくれたけど結局どっち側なのか覚えていない。

 

でもいいのだ。こんなにいい天気、ホテルもそこまで遠くないらしい。車に気をつけながら橋を渡る。おなかすいた空いた〜と騒ぐ私のため、とりあえずケバブの屋台を見つけたので食べることにしよう。私は12リラくらいのチキンケバブ、ろーりんは15リラのビーフケバブを頼む。ついでに1.5リラの水を買う。物価が安いから、まあ安いね、なんて話してたけど、水が1.5リラはなかなか高い、と後で知る。青空の下、小さな椅子で地元の人に混ざりながら食べたケバブはなかなか美味しかった。

 

  お腹いっぱいになるとすぐに動きたくなってしまうのは父譲りなのだろう。屋台でのランチを堪能した後は体も元気になっただけでなく、この街に対する好奇心も大きく膨れ上がっていた。荷物を坂の下の宿フロントに預け、坂の上の探検に出かける。洋風な建物に並ぶスーパー、家電ショップなどなど、ヨーロッパに近いことを思い出させる。イケメン風の警官がいる立派な建物を見つけ、なんだろうと興味本位で近づくと、あっちから入ってと言われたので隣のこれまた立派な建物に入る。ローリンが美術館だろうという。私は図書館じゃない?と答える。白が基調のシンプルな建物にカラフルな本が並ぶ。どうやら私が正しかったようだ。ふふ こじんまりとした空間にいくらか学生が勉強をしている。本の内容は分からないが、図書館独自の空気感を思い切り楽しみ、他のところにも冒険にいってみた。上の階は人気もなく、何もないが、確かに美術館にもなっていそうだ。ローリンの美術館好きはなかなか侮れない。

  この図書館で一番気になったのは、階段やエレベーターにあった大きな窓から見る景色だ。海の向こう、私たちが来た方角を一望でき、やはりなかなか癒される景色でとても感動した。ちょうど真昼間、太陽が高く上がり、青い海に沿って段をなして並ぶ色とりどりのモスクや家々が輝いている。そして青っぽいモスクを見つけては“あれがブルーモスクかなあ!”“いや方角的に違うと思う〜”とイスタンブールで今後よく交わすやりとりをし、朝日も綺麗そうだね、色んな文化に触れられそうね、と期待に胸を躍らす。

 

 

イスタンブールは想像以上に豊かな街だ。自然も、文化も。

 

 

私たちが散策していた場所は、ガラタ塔を中心としたエリア。小さな丘のようになっていて、お土産ショップが続く狭く急な坂道を登ると、ラプンツェルの塔を彷彿させる可愛いらしい塔が華やかに且つ控えめに立っている。ラプンツェルが大好きな私は一目見た瞬間大興奮し、絶対登る!夕焼けの時間帯に登りに行こう!!と言って聞かない。ホステルがこのそばと聞いた瞬間急な坂道も急に頑張れた。ローリンは朝ホテルの場所を探すのにとっても苦労したらしい。かんかん照りの中、重い荷物を背負いながら、この坂道の間を歩き回ってたのかと思うと彼に対しては滅多にしない同情をしてしまう。

ガラタ塔を過ぎ、坂を下ってからウォーリーを探せ!かのようにわかりづらい場所にマンショんがあった。一回部屋を間違え、無事に着いた3階、3LDKのうちの一部屋が私たちの部屋だ。ゲイカップル(多分オーナーさんもゲイ)とアメリカから来たビジネスマンと一緒に過ごすことになった。私はこの時、LGBTQに対して偏見や差別はなかったが、免疫がなかったため思わず驚いてしまった。みんなとっても優しくて良い人だった。低価格なのにキッチンと洗濯機まで貸してくれたのはありがたい。

 

シャワーを浴び、少しのんびりした後、定番だけどとりあえずアヤソフィア大聖堂まで歩くことにした!

 

旅は歩くに限る。歩きながらその街の景色、食べ物、人々を見ていると、生活の匂いが感じられ、どんな街かわかってくる。

 

  坂を下りに下り、海の風をふんだんに感じながら、橋を渡る。結構釣りをしている。魚がたくさんとれるようだ。橋を過ぎると船乗り場がある。この綺麗な海の上をクルーズできるため、たくさんの観光客が列をなしている。今は世界中どこもバカンスか。海外でよく見かける中国人観光客は少なく、ヨーロッパから来ている人が多い。

ちょっと迷いながらもどうにか向こう側に渡れた。線路に沿って歩いていくと、すぐに旧市街エリアになり、電車との距離がぐっと近くなる。トルコのお菓子屋さんやレストラン、換金所が並ぶ。トルコのお菓子は本当に可愛い。甘そうだけどカラフルでナッツなどをふんだんに使っている。ケバブレストラン、大衆レストランロカンタなどもあり、どれも美味しそうだ。貧乏性な私は換金所を通るたびに、私たちが変換した所よりレートがいいか確認する。今の所、僅差だが私たちのが高めだ。やった〜(ホテルのオーナーに教えられて行った換金所では100ドル540リラだった気がする。

 

旧市街の大通りを歩いていくと、トルコアイスのお店でイケイケのお兄さんがシンバルをみたいなものを鳴らし、客引きをしている。ローリンがあの人上手そう〜というのでちょうどアイスが食べたかった私は喜んで10リラ払い、トルコアイスを経験してみた。笑いが止まらない。なかなか楽しい。音楽に合わせてアイスを踊らせている(ちなみに一回アイスコーンを落として、どや笑顔が気まずそうになったのはあえて触れないでおこう)。トルコアイスはお客を楽しませるというより、彼らが楽しんで見える。彼らが楽しんでいるから

私たちもとても楽しくなる。こうゆう接客もいいなと話しながら、色とりどりの5つくらいの味が入ったアイスを食べ食べ。ううううまいいいい〜!!濃厚!!新食感!!ベリー味のアイスがさわやかだけど濃厚でとても美味しかった。量も多く濃厚なので、2人で一つで十分だった。

 

アイスをそろそろ食べ終わる頃、ブルーモスクとアヤソフィア大聖堂が見えてきた。噴水を中心に緑の中で向かい合う二つの宗教。旧市街の街並みと、緑色が混ざり合い穏やかな景観をなしている。ソフィア大聖堂はピンク色でとても可愛い。案の定、人も並んでいる。閉館まであと1時間なので急がなくては。一人20リラを払い、キリスト教イスラム教が混ざる建物に入った。

 私は宗教には詳しくないが、信仰が残した文化は確かに美しい。人々が何を信じ、何に喜びを感じるのか、五感をふんだんに使って想像してみる。

 

ピンク色の大聖堂は外観だけでなく見た目も可愛い。様々な淡い色の大理石が組み合って建物を支えているのだ。小さなケーキの詰め合わせのようだが、やはり雰囲気は荘厳だ。

 

アヤソフィアの歴史は4世紀に遡る。キリスト教を公認し、自らもキリスト教ととなったコンスタンティヌス大帝は、ローマの首都をビザンティウム(現在のイスタンブール)へ移し、帝国の中心となるべき大聖堂を建設した。

しかしそれは二度の火災により焼失。現在の建物は6世紀にユスティニア大帝が再建したもの。15世紀、オスマン帝国の皇帝メフメット2世はコンスタンティノープル(現イスタンブール)を攻略すると、聖ソフィア大聖堂をイスラム教の寺院へ転用した。これによって奥壁にメッカの方向を示すくぼみ(ミフラーブ)と、建物の周囲に4本の尖塔が新たに建てられ、現在の姿になったらしい。

20世紀にトルコ共和國が発足した際、アタテュルク政権のもと、1930年代から壁の漆喰を剥ぎ取る作業が進められると、500年間塗りつぶされていたキリスト教画が人々の前に姿を見せた。そして無宗教の博物館として公開されるようになったらしい。

 

私の目の前にあるのは500年もかくれんぼさせられていたキリスト教画。輝きを残しているところもあれば、塗りつぶされ、色あせたとこもたくさんある。でもこれは紛れもなく前代の人たちが残した歴史だ。宗教って一体なんだろう、と思う。無宗教な私は、仏教キリスト教イスラム教、もしくは儒教道教などを客観的に見て、いいなと思う教えだけふむふむと学んでたけど、彼らは信仰心から戦争まで起こせてしまう。その教えが絶対、という状況に疑問を抱かないのな、とか息苦しくないのかな、とか見えないもの、見たことないものを信じ続けて人生を全うするってどうゆう状況なんだろう、て俯瞰してしまうけど、信じるものがある、ぶれないものがあるって、今考えるとても素敵で素晴らしいことだ。命を捧げてまでも守りたい信念、とでも言うのかな。そうゆうものがあれがきっと人は安らぎを求められるし頑張れるはずだ。来世に願いを託したり、神に誓って努力したり。無宗教と宗教信者はどっちがいいのかなんて比べるつもりはないが、こんなに素晴らしい遺跡を残してしまうその信仰心にただただ感服だ。

 

人はぶれないでいると、美しいものを見せてくれるんだろう。

信仰にしろ、趣味にしろ、ぶれないものがあるとないとでは、人生も見える世界もまるっきり違うはずだ。

 

 

可愛いアヤソフィア大聖堂を見た後は、ブルーモスクには行かず、ちょっと違う道を散歩してみた。階段を上ったり坂を上ったり下ったりしてたら、潮の香りがしてきた。見えてきたのは凸凹岩とかもめ、青い海。潮風が気持ち良い。たくさんの観光客が楽しそうに岩を登ったり、写真を撮っているので私たちも便乗することにする。

かもめ(多分)の糞で岩肌の原色がわからなくなった岩岩を恐る恐る登り、ちょっと座って異国情緒に黄昏る。結構東に来てしまったようだ。大好きなガラタ塔はもう見えない。あの時の空と海の青、岩肌の糞色(白)、目の前に広がるイスタンブールの街並みは今でもくっきり浮かび上がる。遠いとこまで来てしまったなという興奮と、ろーりんが隣にいるという幸運も。

 

潮風を感じてたらお腹も少し空いてきたので、海岸を散歩がてら良さげなレストランを探す。お腹が空いているとレストランにしか目がいかなくなる。食べ好きなの直した方がいいかな。笑

海岸沿いにはやはり、観光客用の海鮮レストランが多い。もちろん値段も観光地価格。

レストランに厳しいローリンに従い、はらへりを我慢する。

工事中ぽい人通りがとても少ない通りを不安ながら抜けると、カシュガルの旧市街のような街に抜けた。同じイスラム教だからだろうか、建物の色使い、外に並ぶお店、カシュガルがとても懐かしく思わず思い出話に花が咲く。レストランを探しながら。

せっかくだし海が見えるとこで食べたい!と譲らないろーりんに従い、屋上で食べれる場所にようやく腰を下ろす。サラダ、スープ?3品とチャイを頼む。トルコのレストランではパンがセルフで出てくるのだが、ここでは薄く膨れ上がったとしたカリカリのナンが出てきて、楽しくなった。今朝、Bakuで私を優しく、力強く迎えてくれた太陽は空を薄ピンク色に染め始めている。地平線を眺めながら、大好きな人と共にするトルコ料理は最高に美味しい。日本でこんなに美味しいトルコ料理にありつけれるのかな、と今朝バクーで感動をくれた太陽とその先に広がる地平線を見ながら思う。淡い青色をした海と空の境目でいくつもの飛行機が飛び、船が進む。空の向こうの、地平線の先にある感動を目指し、やがて見えなくなる。この飛行機や船に乗っている人に私は会うことがあるんだろうか。あったとしてもきっと知らずに一生を終えるのかもしれない。縁てすごいよな〜と思った気もするが、食事に集中してたらいつの間には陽は傾き始めていた。

もう少し黄昏ていたいが、暗くなる前に帰りたい。ろーりんについて散歩がてら帰路につく。

 

 

帰りは歩いて帰ろうということで、ライトアップされた綺麗なモスクをいくつも通る。そのうちの一つのモスクのてっぺんにある月が一番星を包み込んでいる。うっとりしている間に迷い、細く薄暗い道に入ってしまった。怖い。タバコをふかす男性、残飯と野良犬、頑張って進んだらまた行き止まり。散々ろーりんにしっかりして!と怒ってたが、一人だったら絶対に涙ながら走っていた。どうにか元来た大通りに戻り、電車にのるかのらないかで揉めて、結局歩いて帰った気がする。観光地の通りとだけあって、夜はにぎやかだ。レストランのお兄さんに客引きされるたびにもう食べちゃった^^とふざけてみる。ローリンが行きたがっているロカンタを見て、ほお〜となり、ロカンタについて色々質問して興味が少し湧いた私は明日行こうね!と決める。そしてやはり貧乏性が出て、換金所を通るたびに、私たちが変換した所よりレートがいいか確認してしまう。悔しいことにちょっとレートがいい。二人で慰め合いながら、強がりながら見ていくと、不思議なことに遠くなるに従ってレートが上がっていく。ついにはお昼ご飯が二人分出るほど損をしていたことに気づく。悔しい!ローリンが悔し笑いしながら、何かあったのかな〜とつぶやく。何かって?

 

本当に何かあったみたいだ。

 

 

ホテルに着くと、ローリンが携帯を開き、“やっぱり!トルコリラ大暴落してるよ!!”

私の友達からのチャットやフェイスブックで気づいた。本当だ。政治的な問題で経済にも影響が及ぼすなんて。こんなことは初めてだ。もう1日遅く換金してたら、私たちは1日分の予算分抽出できてたかもしれない。経済や政治に疎い私だが、身をもってこんな体験できたのはとてもいい機会だ。この機会に経済も学んでみよう。

 

欧州を船と電車で旅する1ヶ月の記録〜到着編〜

2018年8月9日

眠っていたら、日付がいつのまにか変わっていた。Bakuについたらしい。飛行機を降り、トランジットの列に並ぶ。案の定、人がたくさんだ。ほとんどがビザを頑張って取得した中国人なので、一人一人にかかるチェックが長い。ようやく私の番。日本のパスポートを見せたら、ビザは?と聞かれたので、日本パスポートならビザはいらないよ、と言ったら秒で通ってしまった。よかった。いいだろう!えっへん!とまだまだ時間がかかりそうな列を横目に進んだ。こうゆうところ、私はやっぱり子供だ。でも日本パスポートの恩恵には本当に感謝である。渡航できる国数世界一は、とても誇らしい。きっと年を取っても、空港で私は誇らしげになるのだろう。

 

ぐにゃぐにゃと空港を進みに進みやっと着いたのは人こそ少ないがとても立派な空港!!イスタンブールへのフライトまで時間があるのでちょっとブラブラ。ウォーターサーバーがあるのを見つけ、めっちゃラッキーじゃん!この空港最高だな!!!とウキウキしていたら水が出てこない。でもこんなとこで諦める私じゃない。空港中を探し回ったが、ウォーターサーバーこそたくさんあるものの、全部水が出ないのだ。怒った。でも諦めない。清掃のおばちゃんにウォーターサーバーに水がないんだけど!!!と言ったら、しれっと、“あ、うん。ないよ”と返された。そっか。誠に遺憾ではあるがラッキーなことに自動販売機を見つけたのでお水を買おう。

 

しかし。

 

私、アゼルバイジャンのお金もアリマセン。いやきっと外貨で買える販売機もあるはずだ。こんなことで諦める私じゃない。そこで私はそばにいたお父さんに聞いてみた。3歳くらいの娘ちゃんはジュースを買ってもらったらしい。かわいい。ユーロの束を見せ、お水が飲みたいこと、ユーロで買いたいことを伝えた。そしたらお父さん、なんと笑顔でお水を買ってくれちゃったのだ。100円くらいのお水だが、厚かましいアジアの小娘に笑顔でお水を買ってしまうその行為にとっても感動した。誰か知らないしもう会うこともないかもしれない。共通点はたまたま朝早くに空港にいて、たまたま同じ時間にお水を買いたかっただけ。それでも困っていたら無償で誰かを助けてあげられる。笑顔で手を差し伸べ、笑顔で去っていこうとしたその親子に何かあげたいと思った私は、娘ちゃんに粉々になったカントリーマームをあげた。いつか日本に来てね。お父さんの背中を見て、大きく育ってね。

 

この旅、幸先いいな。私も見知らぬ誰かが困っていたらさっと手を差し伸べれるくらいの経済力と器を持っていたいな〜なんて朝焼けに包まれた町を見ながらお水を美味しくいただいた。

 

立派な空港をプラプラし、ポケーっとお菓子を食べながら目の前の小さな町を見つめていたら、そろそろフライトの時間だ。

バクーには4時間しかいなかったが、たくさんの感動をくれた。いつかバクーにもちゃんと降り立ってみたいな、と思いながらカスピアン海のほとりに立ち寄れた幸せを噛み締める。

 

日はすっかり上がっている。

イスタンブールの空港にろーりんは待っているだろうか。

 

※ろーりん:私の彼氏(日本人)

欧州を船と電車で旅する1ヶ月の記録〜出発編〜

Travel journey▶︎

  北京→イスタンブールギリシャ→イタリア→フランス→スイス→フランス→スペイン→北京

 計45日、船と電車で23都市を巡る旅。費用総額は約38万円(飛行機・ホテル込み)

 

2018年8月8日

 大学三年生だった私は、北京にての半年のインターンシップに別れを告げ、学校の手続きなども終え、本格的な夏休みに入ろうとしていた。北京の夏は暑い。このカラッとした暑さともしばらくお別れだ。

深夜の飛行機に乗るため、夜、急ぎ足で空港に着いてみると、人で溢れかえっている!!さすがは北京。午前中は会社で仕事をしていたのに夜に旅を始め、飛行機の上で眠るという、時空の不思議さを感じながら人混みを抜け22時半のフライトを待った。

 

行き先はアゼルバイジャンのバクー、目的地はイスタンブール。旅慣れしてきたためか、あまり深く考えない性分になってしまったためか、これから約40日の旅が始まろうとしてるのに、特に緊張感もなく飛んでしまった。準備も入念にしていない。強いて言うなら3日かけて230ユーロほど換金したのみ。これから全くの異文化が待っている。ヨーロッパはスリが多いらしい。引き締めなくては。

 

夜の飛行機はなんだか少し寂しい。これから夜空を駆け抜ける不安を飛行機自体が感じているのかもしれない。窓から見える夜景も、人々が1日を終わらせているため、どことなく静かに感じる。窓側の席を選んだはいいものの、隣の席に北京の典型的なおじさんが座ってきた。本来ならちょっと嫌な気持ちになるところを、私は疲れていたのかすぐに気にせず空の上で眠ってしまった。初めて乗るアゼルバイジャン航空、スチュワーデスは男性が多く、設備もなかなか充実してる。空調が寒く、毛布をくださいと2回頼んだのに、よくわからん理由をつけられて結局くれなかったが、歯ブラシセットなどもあり快適に過ごした。

 

 

 

はずだった。

 

 

朝。

 

私を起こしたのは飛行機から見る朝陽でも、機内に流れる優雅なクラシックメロディーでもなく、隣の席に座ったおじさんだった。

 

そろそろ着陸になり、いきなり私を大声で起こしたのだ。

 

大声で起こした割にはもじもじと話していたが、トランジットについてわからないことがあり、私にスチュワーデスに聞いてほしいらしい。私にトランジットとかわかるわけあるか!自分のもわからないわ!と思ったが、私が毛布を欲しいとスチュワーデスと会話していたのを見ていたので、きっと私に英語でスチュワーデスに聞いて欲しかったのだろう。

察したが、気持ちよく眠ってたのにそんな理由で起こされたので不機嫌だったのと、そうゆう全てを模索するのが旅だよ、ということでスチュワーデスに聞いてあげなかった。空港着いたら表示に従って進めば大丈夫、と一応伝えたがつくづく心を広く持ちたいとおもった。

 

そんなこんな、不機嫌や反省の中、私の目を覚まし、人に優しくしようと思わせたのはやはり窓から目下に広がる景色だった。

朝を迎えはじめのバクー。オレンジ色の屋根がたくさん並ぶ小さな、こじんまりとした町。力強い日の出も、この町では柔らかく見える。もう起きた人はいるのだろうか。お母さんが朝ごはんの支度をしているかもしれない。おじいちゃんが畑仕事をしているかもしれない。この時間までオールで勉強している学生、朝帰りのサラリーマンとかもいるのかしら。そんなことを考えながら、頭の片隅で北京の喧騒を思い出しながら、ワクワクと降り立った。

 

 

旅が始まる。